先輩経営者に訊く

「想いつづける」こと、「諦めない」こと

関西釦株式会社
  代表取締役 林健二氏
東大阪市で創業後、氷上町の成松、その後氷上町香良に移転。創業80年の歴史と技術で、高品質のボタンを短納期で小ロットから製造できるとして地域の内外から慕われ続けている関西釦株式会社。現代表の林健二さんは三代目。経営に携わる中で見えてきた人生訓を語っていただきました。
  • Q.
    関西釦株式会社さんは林さんで三代目だということですが……
    A.
    始めは、祖父が大阪で行っていたボタンの製造所です。祖父のことは、仕事を退いてからの姿しか記憶にないのですが、仕事にはとても厳しかったと聞いています。私の父もその厳しさの中で仕事に携わっていたわけで、二代続けて職人気質の社風が強くある会社だったと思います。祖父の頃、ボタンの素材は木、貝、ヤシの実などの天然素材でした。祖父は丹波地方から原料として朴の木を仕入れており、そのご縁で丹波に移り住むことになったようです。丹波移住当時は氷上町の成松に工場を構えておりましたが、累積赤字に対する苦肉の策で、現在の氷上町香良に移転し、その後すぐに先代である父が急逝、急きょ、当時38歳だった私が後継することとなりました。
  • Q.
    突然業務を受け継ぐことになり、戸惑いはありましたか?
    A.
    突然のことでしたが、私自身特別、経営の面で慌てふためくというようなことはありませんでした。その当時私が父の会社に入社して15年ほどになっていましたが、20代のころから50代、60代の人たちと商談してきたからというのが一つです。今でこそ、父には私の真似できないような素晴らしい点があったと思うようになりましたが、父が生きていた当時は反発したり対立したりもしました。親子で経営していくというのは、良いこともあれば悪いこともありますね。父の急逝は、父親としての最後の覚悟だったのではないか、「自分が長くやっていると、この子が羽ばたけないのでは」と思ってくれたのではないかと解釈することがあります。
  • Q.
    林さんが後継されてから、関西釦株式会社さんはどう変わりましたか?
    A.
    その後、おかげさまで赤字体質から脱却することができ、以後それなりに順調に会社を運営することができています。ただわたしはそのことを、「わたしのやり方が良かった」とは解釈していません。「私自身が打たれ弱い子だから、この子の時に花を咲かせてやらなければならない」とお天道様が考えてくれたような気がしています。皆様も貯金をされると思いますが、貯めている人が満期を迎えて使えるとは限らない。コツコツと積み立てた人が満期を迎えずに亡くなることがあるわけです。私は満期の時にいたけれど、それを自分の力だと思わず、信用をコツコツ積み上げてくれた前の世代があったからととらえ、次の世代につないでいかなければならないと考えています。
  • Q.
    経営されるにあたり、どのようなことを心がけていますか?
    A.
    私たちには、先々代、先代の築いた職人気質の風があって、それが苦しい時代を助けてくれたように思っています。努力したことが直接その時の課題の打開策にならなくても、後にたくさんの財産になって開花していくことがあります。ですから、日々の売り上げで一喜一憂するのは危険だと感じています。日々のことはもちろん大切ですが、二年先、五年先のことを考えることは、数字が良い時ほど心がけるようにしています。順風満帆にいかないときも多いですが、その時にどう自分をコントロールするかが大切です。私は三代目で、ある意味この事業から逃げられる立場ではなかったんですが、それが却って仕事を長く頑張り続けられた要因になっているのかなと考えています。
  • Q.
    逃げないで、諦めずに頑張るということが大切ですね。
    A.
    私自身、過去に何度も「もうあかん」とあきらめかけて、「でももう一度だけ」と思って事が動き出した経験があるんです。相手が人間でなくても、対象物であったり無機物であっても、自分が「こうしたい」「こうなりたい」という強い思いを持ち続けることで事は成っていく、逆に思いを持ち続けること以外に事は成って行かないのではないかと考えています。思い続けること、諦めずにもう一回やっていようと思うことがえもいわれぬ原点です。想いを強く持つことで、物事は向こうから寄って来てくれるようにもなります。そのことを体験として、皆様にもつかんでもらいたいと思っています。